K2

  • テイラーを演じた草なぎ剛の冒頭からのテンションの高さにやや面食らった。遭難したという現状を如何に冷静に捉えているかということをマシンガンのように誰に言うでもなく立て板に水のように声高に早口に話し続ける。しかしそれはK2への登頂を達成したにも関わらず、相棒であるハロルドの骨折により降りることが困難である状況下でそれでも希望を失わずにあろうとする登山家としてのプライドと、人間としての本能的な危機感とが常にせめぎ合っているのだと判ると、ようやく少し舞台が見えてくる。
  • そうして、テイラーの必死さが焦りとそれを打ち消そうとする言葉や表情動きとともに揺らぎ続け、いっそ滑稽にさえ見えて思わず笑いすら起こしそうになったとき、ハロルドである堤真一の冷静な一言と、骨折の痛みをこらえるわずかな表情にテイラーと同じく我に返される。
  • しかし、それでもなお死ばかりを追う展開にはならないのは、常にそこにまばゆいまでに灯り続けるテイラーの生への執着と炎のような怒りが見えるからである。
  • テイラーは物語の中でずっと怒っている。
  • この状況に。この運命に。自分に。そうして、ハロルドに。
  • その怒りをテイラーはまったく隠さずにいるがハロルド自身に向かっては決して怒鳴ることはない。
  • それがプライドなのか、意地なのかは判らない。
  • ハロルドの思想や職業を背景とする言葉にテイラーは嫌悪にも似た怒りを言葉に代えてぶつけていく。それを受け止めつつ流し、それでいてその怒りこそが生きる力であることを示すようにハロルドは自らの生きかたや考えかたをテイラーへと語り続ける。卑猥で低俗な冗談や高尚で嫌味な言葉を交えてのふたりの膨大な会話はテイラーを奮い立たせ、あるいは慰め、場の状況を際立たせたりあるいは一瞬忘れさせたりする。
  • それはまるで変わりやすい山の天候そのものを感じさせた。
  • ハロルドの言葉によりその場からへの脱出を試みるテイラーの行動がちいさな幸運と不運をくり返し、少しずつ暗く重たい方向へとにじりよるのをどうしようもなく見守るしかない。
  • しかし、そのハロルドの言葉はテイラーだけでなく自身への励ましをしているのだと気がついた。そのとき、ハロルドがそれまでの人生をかけて学んで知ってきた全てでもって自らを説得しようとしているのだと。
  • 遭難という状況下で必死に下山を試みるそのリアルな描写と同時にふたりの性格の違いや職業の違いからくるかけ離れた会話の距離が迫る予感を近づけたり遠ざけたりする。
  • 翻訳劇特有の会話に於ける単語の印象に個人的に違和感があったのと、登山道具の用語を知っておいたほうがより物語が解りやすかっただろうと思う。
  • 草なぎ剛の演技はごく真っ当に正面からいつも初めての感覚でもってぶつかってくる。1回目でも100回目でもきっといつも初めて、の感覚が表せるひとなのだろう。一度しか観ていない観客にその違いが判るはずはないのかもしれない。しかし、少なくとも私には舞台上であるはずの生と死がほんの眼前にまで迫るのが感じられた。
  • 堤真一の演ずるハロルドが語る哲学は用語や理解の難解さを超えたところにある高みを想像させ、人生観は深みとごく個人的な温かみを教えてくれた。この舞台がこのふたりで上演されていることにこそ意味や理由があって、成立しているのだと思った。
  • 物語の最後は、ひとり残ったハロルドの静かな語りとそれに合わせて閉じていくまぶたの暗転で終わる。
  • この上なく静かで、厳かで、尊いものがそこには遺されていた。