砂の器


題のフレーズがある意味で全てを表しているような
気がすると感じた砂の器
どうも和賀英良の側から描くと面白くないというか、
緊迫感が薄く、どうでもいいようなキャラクターの
内面ばかりが強調される。実際はどうでもいい訳は
なく、和賀英良がどのように生き、その地位を得て
更に高みを目指そうというその描写は必要ではある
はずなのに、観ていて退屈で仕方がない。
退屈といえばもっとひどいのが人物の関係性だ。
何故そこまで登場人物は卑近に知り合いになる必要が
あるのか。すでに和賀が犯した殺人に関する手がかりは
十二分にまで残され示された。何かひとつでも掴めば
全てが瞬時に繋がるに違いない。それを人間関係でも
同じ仕様にする必要が何処にあるのか。
付箋のつきすぎた本をめくる鬱陶しさを楽しめという
のはあまりにも視聴者をバカにしていないか。

松本清張の原作の素晴らしさはそれを別の形で表現
するに当たり、そこに新たなる要素を加える必要のない
描写のち密さと、物語の力点をそれぞれの立ち場に
置き換えることの出来る奥行きにある。
だからこそ、刑事ドラマではなく人間ドラマとしての
砂の器というものを作るべく今回の企画は立ったと
私はそう解釈したい。
しかし、今のところその奥行きというものを作り手は
全く勘違いしているように感じられて仕方がない。
奥行きとはあくまでも物語の範疇内に収まるものであり、
関係性は浮かび上がるものである。

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……こう書きつつも、でも、今のところ私が多少なりとも
面白いなと思っているのは原作に存在しない成瀬あさみで、
それは上で書いていることと矛盾しているのでした。
しかし、今日の最後の最後でやっぱりつまらないのかも
と思ったので、来週まで持ち越し。


やさしいキスをする、のではなくてして欲しいと。
ああ、いやだ。
何なんだその要求ばかりのフレーズは。
何でこんなに怒ってるんだ私は。