Q10 一話

※私が別のところで書いてる日記をほぼ転載にちょっと足してみた※

木皿泉さんの描く物語は登場人物が多かれ少なかれ世界と自分の乖離感を抱いている場合が多い。今回の物語の主人公も大病を患った経緯から生きているということそのものに疑問を持ち、世間や周囲との距離感を掴みきれずに違和感を抱き続けている。事なかれ主義で、何となくただ生きているだけの毎日が何かによって作り変えられていく予感。その何か、がQ10というアンドロイド、ということで。

あー……。恥ずかしい。何だこのお話のどうしようもないむずがゆさ。
何かとっても、こう、正視できないような世界が。でも観ちゃったけど。厨二病とか言っちゃうのは簡単だけど、それだけじゃないのはまぁ、判った。私なりに。解決しようのない問題にとりあえず突貫してみようとかよりにもよってそれが戦争を知らない子供達かよとかわぁ、どうすりゃいいんじゃー。

  • 物語とはなんだろう。

時間は世界は今このときもひと時も止まることはなく動き続けているし、それを止めることは出来ないし、戻ることも出来ない。これもまた木皿節全開。とりあえず主人公の厭世観とか、生きるとか死ぬとかってのとQ10を好きになるってことで世界が変わっていくことがどうやって繋がってくんだろう。

  • ひとを好きになれば世界に意味が生まれる?

すいかっていう作品でも主人公は平穏無事な生活や世界が退屈でしょうがなくて、身近に同じような同僚がいたけれど、大金を横領して行方不明になって、でもやっぱり主人公自身の世界は変わらなかった。その代わり、彼女にはほんの少しだけ世界が違ってみえるようになって、楽になれた。それは多分、傍からみれば判らないことで、だけど彼女自身にとってはとても大事で必要なことだった。

  • 世界はいつも自分が動くことでしか変わらない。

それを億劫だったり臆病だったりすることで動かない、動けないはずのひとがいつの間にか動いちゃってて、それが人でない存在のためだったとしたら。

このお話のキモは人でないロボットに抱く思いが彼の世界を変えるとき、かのロボットはロボットを超えた存在として彼の中に生きることになるのかどうか。……今のところはそういうことなのかなあと想像。

いやーでも、ほんと木皿さんてなんでここまであらゆる違和感をリアルに描けるんだろう。多分ラノベ好きにはたまらない感覚でもって付き合えるんじゃないかなあ。私はそれにはもう歳を取りすぎてるはずなんだけど結構直撃受けちゃったよ。受け止めきれんけど。笑

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佐藤健くんの演ずる主人公のかったるそうな感じとか、繊細さ、日常に感じている患ったことへの周りからの様々な気遣いを知りつつ、礼を言うことも何だかすでに違うというか、結局生きているってなんだろうという厭世観と諦観がとてもリアルに表現されていたように感じた。
前田敦子さんのQ10はまっさらなところから足していくということで、どんどん色味がついて人間らしくなっていく様子を表現していくのだろうけれど、これはどちらかというと編集とか映し方といった部分に委ねられる部分が多く、例えば一話において口をきかなくなった彼女という件も彼女自身から読み取れることはなく、周りの反応や対応により変わっていくしかない。しかしそれでも彼女がロボットでありながら"彼女"という感覚でもって視聴者が見られるようになっていくとそれはきっと物語に視聴者が入り込んでいける大きなきっかけであり理由であり結果に繋がっていくのだろう。