父帰る/屋上の狂人@シアタートラム

  • 4/11 18時 B列15番
  • 観てから二日も経ったんですが、どうにも感想がうまく書けそうにありません。でも、行ったことも観たってことも確かなので何か、何か。…うーんー。
  • 父帰る
  • 原作を読んだ段階で輪郭はまあ掴めたんですが、とにかく必要最小限の説明と表現と会話で簡素かつ緻密に組まれた短編で、これをどう演じるのかというのが非常に気になるところでした。お芝居としては古典的定番らしいというのは知ってはいたのですが。
  • この作品の語られない部分である父親が不在の20年という時間の長さ、彼らの苦労、苦心、葛藤が前提にあるという難しさ。
  • サナギさん演ずる兄は、兄でありながら、家長であり、つまり家族を守ってきた当主であるという重みを持っています。
  • しかしその重みを声の深さで演じようとされていたのか、声の調子に無理があるような気がしました。それを兄らしさ、家長たれという兄の気負いからくるものであるとするのならとても正しい在り方だとは思うのですが。
  • 兄は弟や妹とは目を見交わして会話するのですが、母親とはあまり目を合わせることはありません。特に父親の話をされるとすぐに目を逸らしてしまいます。この辺りは物語の中にはない、芝居という形だからこそ出来る肉付けです。
  • 実のところ、贅沢な話なのですが今回最前列右寄りという席で観ることが出来まして、しかしそれが却ってアダになったという部分があったのです。
  • 具体的には一部演者が見えない場面があったということ。勝地涼くん演ずる弟と沢竜二さん演ずる父親が出て行く出て行かないというくだり。重要なところなのですがここが私の席からは障子越しにしか見えず表情がほとんど分かりませんでした。
  • そんな中で前後しますがいよいよ帰ってきてしまった父親と対面する兄は最初から最後まで一度たりともまともに目を合わせません。それどころか向き合うことすらなく、身体ごと拒否します。ここも文章だけでは表現されていない舞台ならではのものだと思いました。
  • 父親に向かって、硬いつぶてのような言葉をぶつける兄のその台詞は私の席から見える父親の虚勢を張った立ち姿を確実に削っていくのです。それが観ていて分かるのです。そこに泣き続けるしかない妹と母親の嗚咽が混ざり、父親という存在と兄という現実の間に板ばさみになった弟の言いようのない焦燥が降り積もっていきます。それはすさまじいまでの重量感で空間を支配していきます。20年という時間の苦味がそこに現実味を持って現れてしまうのです。
  • 兄により存在を完全に否定され、限界にまで削られてしまった父親が、まるで釣り糸を引く魚が糸をぷつん、と切ってしまうようにふいと部屋を出て行きます。上に書いた弟と父親のやりとりはしかし、物語の上ではあまり意味はなさないものではあります。父が息子に負けて出て行かざるを得ないという状況こそが物語の中心ですから。
  • しかし、ここですがる弟と妹、そして母親の哀願が兄に降り積もるくだりが観客にも兄と同じ重さを感じさせるのが物語の不思議なところです。兄の語った言葉のひとつひとつにまるで嘘や誇張がなく、それだけに出て行った父親のことを許せないという気持ちになっているところにふいに、今度は兄がまるで先ほどの父親と同じようにぷつん、と糸が切れるように立ち上がり、父親を追いかけるのです。
  • その瞬間まで兄と同じ気持ちを共有していた観客はそこで唐突に放り出されます。そうして、この家族のことを悲しみでなく慈しみの気持ちでもって見守るのです。共感はしにくいでしょう。しかし、認めざるを得ないものとして理解をするのです。
  • 屋上に関してはまた後日。